こんにちは長谷川です。
1つ前の内容では高校生について書き始めましたが私にとってはすごく大切な事なのでここで少しだけ中学生に時系列を戻します。
中学生の時私はとても暗い孤独な時間を過ごしていた事はお伝えしました。
ただ、そこには傍らに実在の人の温もりではなく、いつも「音楽」がありました。
母親がホームオーディオ好きで(そんなたいそうなシステムではありませんが)毎日家の中では音楽が流れているのが日常でした。
人とは向き合ったりはしない孤独な少年も家に1人で居る時はスピーカーから出る音には心も丸裸にして毎日聴き入っていました。
音楽の世界に他人には言えない本当の自分の気持ちや居場所を見つけていたのだと思います。
ある人は本の世界で、またある人はスポーツ競技に没頭している時間などに私のような誰にも言えない自分の世界を創って様々な想いを馳せている。
そんな気持ちや時間、皆さんもきっとわかりますよね?
さて
私が中学生の当時どハマりしたミュージシャンがいくつかあります。その中で2大マイフェイバリットアーティストを言っちゃいます^ ^
1つは
THE.BLUEHEARTS
今の若い子にはもう知らない子も出てくるほど解散してから時が経ってしまっていますが間違いなく古き良き時代のカリスマバンドですね。
そしてもう1つは
X JAPAN
1度の解散を経てから復活を果たし、日本のロックシーンの礎となり今や世界を股にかけ名実共に認める日本が誇る大御所バンドになりました。
他にも感動を覚えた音楽は山ほどありますが当時の私を「救ってくれた」といった意味ではこの2つのバンドは私にとっての人生のバイブルとして心に焼き付いています。もちろんこれから先もずっとでしょう。
THE.BLUEHEARTSは歯に絹着せぬ言葉と言いますか、本当にセンス溢れる言葉選びとキャッチーなメロディーに独創的な演奏スタイルで当時の若者の心を鷲掴みにしました。なんと言っても「ピュア」です。
混じりっけなしの純粋さ、その中に見える危うさが正に私の琴線にふれました。
そしてX JAPAN(当時はただのX)はよりディープな世界観を当時としてはかなりセンセーショナルな音と映像を世の中にぶちまけて、熱狂的(もはや狂気^ ^)なファンを持つ新ジャンルの革命児として世に現れました。当時の世の中には若者から見ていくつも立ちはだかる壁がありましたが彼らの出す怒りと悲しみから来るパワーで一瞬でそれらの「常識」を壊して行きました。
多くの人が共鳴したのには私から見てですが明確な理由がありました。
彼らに限った事ではありませんが人々を惹きつけるだけの事を彼らはしていました。
その理由の1つは間違い無く
「代弁者」です。尾崎豊もその最たる者ですね。
そして「平均点」なんて全く狙っていません。
想っている事を伝えるのは大変です。
ましてや対象が世界ですから。
単純に物凄い勇気がいります。伝えるって事は怖くて怖くて仕方ないはずです。
誰にだって人には言えない心の醜さや弱さ、傷ついた事や失った物に対する悔しさや切なさがあると思いますがそれを自分の中から外に出すって……。
ちょっと普通じゃ出来ないですよ。
もはや異常です。
考えていては出来ません。心で生きる他ないと思いますよ。
それを彼らは抜群の表現力と卓越した「個」でやってのけます。
それまで誰もやった事のないやり方で。
(知らない人はどんな風だったかはyoutubeで見てね^ ^)
彼らの事を深く理解するよりもずっと早くに、聴く者の心が先に揺れてしまう。彼らの事をしっかりと理解出来るのに世の中自体にタイムラグが生まれていたのは間違いありません。
瞬時に虜になった。
そんな感覚を持った人も少なくないと思います。
彼らの音楽によって私は本当に勇気付けられ救われました。
大げさだと言われることもありますが生きる希望を持てたのも彼らの音楽のおかげです。
会ったことも話した事もないそれぞれの違う「個性」から、辛いのは自分1人じゃない。ありのままでいても良いと言われている。もっと言えば死すら肯定している。
孤独の淵で苦しむ者にとってその言葉がどれほど勇気と希望を与えてくれたことか。
きっとあの時代そのものが彼らを生み出したのかもしれないですね。
偶然ではなく必然だったのだろうし、正に時代の申し子なのかも知れません。
中学生当時、カウセリングによって直接的に救いの言葉を投げかけられた事も私にとっては貴重な時間でしたが、家に帰れば独りきりで過ごす事が多かった私にとっては音楽がそこに有ってくれたおかげで辛い時期を乗り切れたのは間違いありません。
そうして自然と「音楽」の世界に興味が湧いて来ました。
その中でも私は歌に特化して興味を持ち始めました。メロディーに言葉を乗せるだけでこんなにも人に感動を与えられるものなのかと彼らの音楽を知って驚嘆しました。
確か中学2年生が終わる頃だったと思います。
家に1人でいる時は彼らの曲すべてを一語一句覚えてボリュームをあげられるだけ上げて喉が枯れても歌いまくり、それだけでは飽き足らず隠れて1人でカラオケに行きそこでまた歌う。
当時はカラオケもまだそこまで普及はしておらずレーザーディスクで再生される機器が主流。映像も歌詞のみの曲が多く曲数もろくに入っていませんでした。
ただ、防音室。自分の最大ボリュームの声を出せる。
これが実は結構貴重でした。
日常で最大ボリュームの声を出す事って中々無いと思いませんか?
実に気持ちの良いものです。おすすめします。
曲数がないので同じ歌を何度も繰り返し歌います。
かなりメンタル鍛えられます(笑)
日常生活は大して真面目にこなさないくせに歌だけは一生懸命に歌っていました。
まるで自分の言葉のように彼らの楽曲を借りて外に吐き出している事が気持ちよくて仕方がなかったんでしょう。
そして高校生になってからも当然歌う事は続けていました。密かに。
そして高校2年生の学校行事中のバスの道中で1つの転機が訪れました。
続く〜^ ^
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