0と1の間


皆さんこんにちは 長谷川です。



さて今回の脱線した内容もこの回あたりで落ち着こうと思います^_^よろしくお願いします。

唐突ですが1つ断っておきます。

私のような考えは世の中的にはかなりマイノリティであり非常識な見解だと思われる事は重々承知しています。この様な思考や行動から様々な誤解を生み、批判も幾度となく受けて来ました。青春があったから大人になってからも充実出来るんだ。といった意見もよくわかります。学生時代の友達は一生の友達だともたくさん聞きますね。素晴らしいことですね。

私はそれらを否定するつもりは全くありませんし、どれもその人が選び取った正解だと思います。ですがその裏でこういった生き方もある事を知っておく事が大事であると思うのが私の考えです。

ただ、表も大事ですが裏も同じだけ大事だと思うのが私の持論です。それって気付きづらい部分であり、後から見えて来る部分なのでそこを知る事や気付く事は人生において通過点であり、ある意味スタート地点であると私は捉えています。

例えば昔から続くもので今も尚変わらずある事と言えば……いじめ。

2種類あります。苦しんでいる人と苦しめる人。

彼等は学校の中が人生の全てと思い込んでいますね。学校生活を継続する事が双方にとってマイナス要素でしかないと私は思いますし、何よりも本人達にとってはその先の人生に尾を引くような事です。当事者は全くわかっていませんが。

これは社会生活においても同じだと思います。心当たりがある方は大勢いるのではないでしょうか。パワハラ、モラハラですね。ハラスメントする方は安易な考え方、そして利己的な発想です。

本来ならどちらとも同じ環境内に行くのを止めるべきだと思います。1番いいのはそれら自体を未然に防ぐべき事ですが環境を強引に変える事は対処策であり、逃げでもなんでもないと思います。当然本人達のある程度の同意が必要ですが。

そして残された人達で何故彼等が学校へ来れないのかも考えさせた方がいいのではと思います。他人事ではなく全員で話し合い現実と真摯に向き合う事は大切です。

だって、その場にいた「傍観者も同罪」ですから。知っていたならさらに悪質です。

周りが関わり、存在価値を肯定してあげる事こそが最大の治療薬だと思います。当事者同士の環境下で外野が他人事のごとくもう少しがんばれとか思っていたところで本人達にとっては何のアドバイスや気休めにもなりません。

私は0と1の間をわからない人が多過ぎる事がそもそもの問題だと思います。

スタートからゴールまでの間。

表と裏に変わるまでの間。

白と黒の間の灰色。

苦しめる人と苦しめられる人の「間の人」

それは自由と規律のバランス。これを知る事はとても大切です。バランスを取れる人は誰でしょうか?

集団でそういった事を行えるのは学校の強みだと思います。社会に出る前にやっておいた方がいい必要な訓練だと思います。以前にもお伝えしましたがはみ出しものは一様にして純粋です。必ず伝わります。ただ彼らの表現方法が善か悪かの両極端である為にバランスが悪く波紋を呼ぶだけです。決して間違ってはいない。私はそう思うように心がけています。

そして目の前の課題を対岸の火事と伝えるか、明日は我が身と伝えるかでその場に居る人間の人生を変える事が出来ると私は本気で思います。気付いたならば泳いで対岸の火事を消しに行く方がいいのでは?と私は考えます。泳いで渡るリスクを嫌う人が多過ぎます。巻き添えが怖いと内心怯えている。

ですが現場は「もう燃えている」

そこの過酷さに早く気付いてほしい。対岸で見てる側のあなたはまだ恵まれていると。是非岸から岸への出来事を体験して欲しい。人の為に尽くした経験は何にも変え難い経験になるのではないでしょうか。

その為には大人が想像力と創造性を求められる事を知るべきです。

本来は大人や先輩が子供や後輩に発想の手助けをしてあげて自分の頭で考えるような選択肢を与えるべきです。想像力に問いかけ、そしてしっかりと認めてあげてほしい。

私が社会に出てから思った事の一つに創造力、想像力の乏しい大人がなんと多い事かと痛感させられました。全てそれまでの教育環境のせいでしょうか。おそらく学校、家庭両方において窮屈な思いをさせられた末路です。転ばぬ先の杖の杖が邪魔です。

自由に走り回る方がいいに決まってます。当然怪我はしますが、治ります。しかもどうせ怪我をするなら早ければ早い方がいいんです。

だからどんどん挑戦しましょう!失敗は成功の元。この究極の理をほとんどの人が教わって来たはずです。

私の学生時代の周りの大人達はもう少し上手に好奇心をくすぐって興味を持たせて欲しかったです……。めちゃくちゃな言い分ですね(笑)わがまま言ってすみません。みなさんに対してきちんと感謝しておりますm(._.)m

とにかく教えられた事だけを100点で繰り返す事では創造性は養われません。20点でもいいから堂々と自分の足で歩むべきです。そして道中で痛みを知ります。行い次第では激痛です。ですが全力の20点ならばきっとリターンがあるでしょう。

辛いなら辛いと言えばいい。すぐ横で同じ苦しみを味わう仲間がいた事に気づくでしょう。言葉では伝わらない同じ痛みを知る者同志こそ本当の仲間になれると思います。だから人生は素晴らしい。

自分が一度何かを理不尽に失う経験をして、いつかまた顔を上げられた時には周りに同じ様な境遇の人がいると助けたくなるものです。未然に防ぐ方法であったり、立ち直るためのアドバイスを伝えたい。そうした熱意を指導者(大人)が持つべきです。

それが出来ずに人を傷つけたり機会を奪ったりするのはまだ何も失った事のない子供のする事です。大人の皮を被った大きな子供です。身体的成長に精神が伴ってないわけです。

私の学生時代に関わった多くの大人達も創造性に欠け新たな仕組み作りに挑戦する事に保守的な人が多かったのは確かです。とにかく根性論にしがみついていました。それでもみんな必死だったんだと思います。

そうするしかなかった……。今ならわかります。私の両親含めです。

激動の時代でした。でも幸いにも無事に終わりました。

ですから今、想いを伝えるのは私の番だと思いこうして勝手にブログにしています。

今の学校や社会が「自由」へと少しでも改善の道を歩んでいる事を切に願います。

脱線した話もこの辺で終わりにします(笑)

高校生になった私のやりたい事は何か?

それでは以前のブログ内容に戻ります。  が、                   それはまた次回^_^

続く〜

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青春は必要か?

皆さんこんにちは 長谷川です。

前回からの流れは内容的にちょっと脱線気味で長くなるので数回にわけます〜^_^前々回の続きはもう少し後で書きたいと思います。

さて

私はちゃんと計画的に卒業しました。授業日数は必要最低限になるよう事前に先生に聞いておいて……

出席日数が数学は後2回でアウト

社会は後5回まで休める

といったようにカウントしていました。単位が足りないと卒業が出来ないという仕組み。

困ったものです(笑)

高校生活終盤は出席日数をギリギリで保っていたのでバイク通学中(当然校則違反です)の朝に通学路で事故を起こした時も慌てて学校行きました。これ以上休むと卒業出来なくなりますから!⬅︎ただの馬鹿(笑)

当然テストの点数は赤点だらけでしたので結果として補習に多くの時間を費やす本末転倒な事を味わうわけですが、そこがまだ若気の至りといったところでしょうか。計画的とか偉そうな事言っていますがただのサボりです。良い子は真似しないでね^ ^ とにかく、その先のやりたい事の為に卒業証書が必要という事がわかったので仕方なく卒業する事に決めました。

私はやりたい事が明確にありました。

正直、当時は授業内容に興味が湧くような内容が見当たらなくて困惑していました。今はもうちょっと勉強すれば良かったかな?程度で後悔するほどではありません。赤点の影響も今のところありません!気づいてないだけ?……まぁいいです。それよりも放課後の時間に己の全てを出す為に学校では「温存」です。校内でのアウトプットはゼロです。

批判は甘んじて受けますが私自身が後悔していない以上それが私の選んだ生き方です。親には三者面談で泣かれましたが(苦笑)

多少の努力は試みましたが学校生活を「学生」らしく謳歌する事に意味を見出せませんでした……。

学生の青春は本当に必要か?(はい、偏見の塊です)

今でもついそう思ってしまいます。自分の子供を見ててもその時出来る最大の努力と呼べるほどの事をしているわけでもなく向上心も薄い生活をただただ楽しいから青春なんて言う綺麗な響きで誤魔化してない?とか思ったりします。

嫌な奴ですねぇ〜(笑) 学生時代がそうでなかった人は私の見解はどうぞ無視して下さいm(._.)m

俗に言う青春を楽しむ同級生達と私は一緒にいませんでした。いや、居れませんでした。

繰り返しますが友達がそこまで必要だとは思った事はありませんでした。大人になりたまにありましたが向こうが憶えていても私は全く憶えていない。そんな失礼な事があったりします。ごめんなさいm(._.)m

当時の私は単純にいつ楽しむのか?といった選択があると考えた時に「学生時代」ではなく「大人になってから」を選んだだけの気がします。今楽しくもないのに無理して楽しもうとするのはやめようといったスタンス。

それは根拠もなく自信に満ち溢れていました。だって、私は元々光を浴びていたわけではなく暗闇の中で光を見つけたから。そして今はあの頃より確実に光が見えている。少しずつではあるけどきっとあそこから抜け出したのだろうといった確信。

反抗期のあの頃は部屋の中に有ったのはたった1本のロウソクの灯。すぐそばの事も手探りで、そばにあるものも落としたり壊したり、時には自分も他人も傷つけたり。それはもう大変でした。

でも高校生になった今はロウソクの灯は沢山ある。部屋が明るくなった感覚です。あの時とは違いそばにあるものは明確に捉えられているよう。

ですから青春があるとするならばそれは「今」です!このブログを書いている今が人生で1番楽しいから。部屋には電気が通って蛍光灯で照らされています。点けたり消したり自由です。

皆さんの中にも学生時代よりその後の人生においてキラキラした人も必ずいるはず。

胸を張って青春は今だね。学生時代は不毛な日々で自分には随分と後から青春がやって来た!!

と胸を張って言える人、実はたくさんいるんじゃないんですかぁ?

もしその経験を悩める人へ的確に伝えられたなら、それってある意味恒常的に人を救う事につながりますよね。

違いますか?

続く〜

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インプット<アウトプット

皆さんこんにちは 長谷川です。

前回からかなり間が空きましたが久々に再開してみようと思います。
もう少し詳しく高校生活を思い出してみます。

以前にも書きましたが高校生になった私は中学生の時と違って他者との関わりが極端に減りました。良くも悪くも……。
少しずつ落ち着いて来たんですね。まだまだ未熟者である事には変わりませんが。
教室内でも極力声を発する事もなく、友達作りにも全く興味がありませんでした。私を知らない人の多くはあいつは何を考えているのかわからないと思っていた人も居たと思います。
目つき悪くて喋らない。嫌な奴ですねぇ~(笑)


でも私としてはそうした時間は全く苦でもなく、むしろ静寂感(ただの1人ぼっち?)が心地よい日々でした。周りの評判などただの雑音程度の感覚で、そうした感覚に慣れた時に周りの事がわかるようになって来た感覚を覚えています。
学校生活は確かに退屈な時間で嫌いでしたが全てが無駄だとは思っていません。自己表現の場がそこではなかっただけですし、強くそう信じ切っていた事は今でもしっかり覚えています。逆に自分のやりたい事、思っている事を見直す良い機会になりました。それまで頭の中グチャグチャでしたから。



こんな事言ったら怒られそうですが今の若い世代の子達に学校生活を強制するのは間違っていると思います。あくまで学校は主体的に行くべきです。やりたい事が無いから学校へ行く。それは寂しい事ですが何かを見つける為に学校へ行くのは何もしないより絶対いいと思います。何が起きるかわかりませんからね。

そして生活する中でやりたい事が見つかったならそれはとても幸運な事です。やりたい事を推し進める過程で学校というものが弊害となっていたならば学校へ行かなくても仕方がない部分はあると言えます。
事実それで大成する方も大勢いますし、そこを否定したところで所詮本人には届く事もないでしょう。

私的には高校生ともなれば同じ時間、同じ教室に全く個性の違う人間が共存する事の方が違和感があります。それぞれの素晴らしい感性を最大限に活かすには今の学校制度では歪みを生んでしまうだろうなと常々思っています。昔よりシステムは柔軟になったのかもしれませんが、それはならざるを得なかった結果論だと思います。リアクションであり後手です。間違いなく多くの犠牲の上に成り立っていると思います。大学等はその先の受け皿の役目なのでしょうか。

それまで見守って来た大人達はその先へ進むと決めたなら「延長戦」ではなく「明確な目標達成の手段」として進学してほしいでしょうね。


私は自分の子供達にも伝えた事ありますが
学校とは、学校で教わらない事を教わる為にも有るのだと話しています。無駄だと思う事を知る事で見えてくるものがあります。
学校がつまらないつまらないとよく言う子達ですので親としては少々困りますが^ ^
学業を終えた後に現れるであろう目の前の課題を、自分の力で考え判断し実行する力、すなわち自立を社会では必要とされます。
洞察力とも言えるかもしれません。普遍的に物事を見抜く力。必要不可欠なスキルです。
私は学校教育でそれらを取得した実感を得られませんでした。むしろ当時の教育は私にとっては逆行していたかもしれません。右に習えの教育でしたから。

確固たる自立心は私の場合学校ではなく放課後、もっと言えば中学生の時に少しずつ身に着いたものだと思います。
皮肉な事にそれに気づかせてくれたのは他ならぬ学校なんですよね。
ですから学校で教わらない事を教わる為に学校は有る。
どうしてもそう思ってしまいます。あくまで私見ですが……。子供達には常にアンテナを張っておけと伝えて学校生活に送り出しているつもりです。つまらないと感じるのは自分の能力不足、だから昨日の自分を越えるような事を自分で探せと。それを見つけられるようにアンテナを張っておけと伝えています。
他者の思考に依存して自身の考えを表現出来ない人は世の中に感動を与える事は難しいのではないでしょうか。兎角日本人はそれが苦手な人種だったりしますが。恥ずかしがり屋が多いですからね。



要するにそうした表現力を培う為に学校の仕組みで利用出来るものだけ利用している。
私はその程度の感覚で学校生活をしていました。軸足は完全に別に置いていました。
そうでない人は先の事を考えた上で、勉強が必要だと思うのであれば誰よりも専門的に勉強をする必要がありますし、またそうでもない場合は一定の水準までカリキュラムを習得出来たならば他に時間を費やすべきです。仲間が必要であれば友達作りに時間を費やすとか。
何が人生に必要であるかは自分で決めるべきです。
それでも学校へただただ通っておけと言う制度を作った大人達に私は聞きたい。
正直に答えて下さいね?と前振りをした上で。
貴方達の考えは最終的には「根性論」ではないのですか?と。
辛くてもがんばれ!みんな頑張っているんだ!
協力しろ!足並みを揃えろ!点数を取れ!
前はそれでよかったのでしょうね。
たが単純にもう時代が違う。
それでは生き方は伝えられない。
ちょっとあまりにも盲目的すぎやしませんか?
人は数字じゃ測れないですよ。大卒より能力の高い中卒は大勢います。問題は自分の能力に気付きそれをどこでいつ活かすかですからね。小さな能力も研ぎ澄ませば超一流になり得るんです。



大人達には学校が居場所ではないと思っている人に「君にとって他に違う道はないか?」と是非一緒に探してあげてほしい。学校退学者は劣等生ですか?もしかしたらただ寂しいだけで学校に居たいだけかもしれないじゃないですか。彼等なりのSOSかもしれない。
でも本当は狭い教室の中が人生ではない事は大人達は皆知っています。
ならば教えてあげれば良いでしょう?
事実としてここでは学べない事が山の様にあると。生きる事を学ぶのはみんなの好奇心が全てであると。途中で判断を替える事は諦めではなくて勇気、英断です。
そうすれば皆その環境を与えてくれる大人を好きになり、そして学校という仕組みを好きになり、より多くの人が自己表現の機会を見つけられれば、より一層自分という物を表現する事を考えて前向きに生活出来ると思うんです。学校というものはそれまでの準備をさせてくれる素晴らしい場所であるべきです。
だからもし1年で準備出来たなら時間は有限ですから一刻も早く辞めた方が良いと思うんですけど、これ言うと頭おかしいなんて言われちゃうんですよね^ ^

でもね……
いくら一生懸命に長い時間使って詰め込んでも、詰め込んだ物を先の人生で自己表現出来なければその環境はその人にとっては不要だったのではないですか?だから好奇心を絶やさないような環境を見つける方が数倍大切だと思います。学校の務めはそれの手助けではないのかなぁ?

インプット<アウトプット
です。このバランスは覆る事はありません。
教わるは易し、伝えるは難し。

こればかりは経験しないとわかりません。例えば自分が子を持つ親になって初めてわかった事なんて正にそうだと思います。

あの激動の時期に私に関わってくれた人達はどれだけ私の為に気を揉んでくれた事か……。



反省行脚したいくらいです(笑)

よし、がんばろ。



続く〜

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代弁者

こんにちは長谷川です。

1つ前の内容では高校生について書き始めましたが私にとってはすごく大切な事なのでここで少しだけ中学生に時系列を戻します。

中学生の時私はとても暗い孤独な時間を過ごしていた事はお伝えしました。

ただ、そこには傍らに実在の人の温もりではなく、いつも「音楽」がありました。

母親がホームオーディオ好きで(そんなたいそうなシステムではありませんが)毎日家の中では音楽が流れているのが日常でした。

人とは向き合ったりはしない孤独な少年も家に1人で居る時はスピーカーから出る音には心も丸裸にして毎日聴き入っていました。

音楽の世界に他人には言えない本当の自分の気持ちや居場所を見つけていたのだと思います。

ある人は本の世界で、またある人はスポーツ競技に没頭している時間などに私のような誰にも言えない自分の世界を創って様々な想いを馳せている。

そんな気持ちや時間、皆さんもきっとわかりますよね?

さて

私が中学生の当時どハマりしたミュージシャンがいくつかあります。その中で2大マイフェイバリットアーティストを言っちゃいます^ ^

1つは

THE.BLUEHEARTS

今の若い子にはもう知らない子も出てくるほど解散してから時が経ってしまっていますが間違いなく古き良き時代のカリスマバンドですね。

そしてもう1つは

X JAPAN

1度の解散を経てから復活を果たし、日本のロックシーンの礎となり今や世界を股にかけ名実共に認める日本が誇る大御所バンドになりました。

他にも感動を覚えた音楽は山ほどありますが当時の私を「救ってくれた」といった意味ではこの2つのバンドは私にとっての人生のバイブルとして心に焼き付いています。もちろんこれから先もずっとでしょう。

THE.BLUEHEARTSは歯に絹着せぬ言葉と言いますか、本当にセンス溢れる言葉選びとキャッチーなメロディーに独創的な演奏スタイルで当時の若者の心を鷲掴みにしました。なんと言っても「ピュア」です。

混じりっけなしの純粋さ、その中に見える危うさが正に私の琴線にふれました。

そしてX JAPAN(当時はただのX)はよりディープな世界観を当時としてはかなりセンセーショナルな音と映像を世の中にぶちまけて、熱狂的(もはや狂気^ ^)なファンを持つ新ジャンルの革命児として世に現れました。当時の世の中には若者から見ていくつも立ちはだかる壁がありましたが彼らの出す怒りと悲しみから来るパワーで一瞬でそれらの「常識」を壊して行きました。

多くの人が共鳴したのには私から見てですが明確な理由がありました。

彼らに限った事ではありませんが人々を惹きつけるだけの事を彼らはしていました。

その理由の1つは間違い無く

「代弁者」です。尾崎豊もその最たる者ですね。

そして「平均点」なんて全く狙っていません。

想っている事を伝えるのは大変です。

ましてや対象が世界ですから。

単純に物凄い勇気がいります。伝えるって事は怖くて怖くて仕方ないはずです。

誰にだって人には言えない心の醜さや弱さ、傷ついた事や失った物に対する悔しさや切なさがあると思いますがそれを自分の中から外に出すって……。

ちょっと普通じゃ出来ないですよ。

もはや異常です。

考えていては出来ません。心で生きる他ないと思いますよ。

それを彼らは抜群の表現力と卓越した「個」でやってのけます。

それまで誰もやった事のないやり方で。

(知らない人はどんな風だったかはyoutubeで見てね^ ^)

彼らの事を深く理解するよりもずっと早くに、聴く者の心が先に揺れてしまう。彼らの事をしっかりと理解出来るのに世の中自体にタイムラグが生まれていたのは間違いありません。

瞬時に虜になった。

そんな感覚を持った人も少なくないと思います。

彼らの音楽によって私は本当に勇気付けられ救われました。

大げさだと言われることもありますが生きる希望を持てたのも彼らの音楽のおかげです。

会ったことも話した事もないそれぞれの違う「個性」から、辛いのは自分1人じゃない。ありのままでいても良いと言われている。もっと言えば死すら肯定している。

孤独の淵で苦しむ者にとってその言葉がどれほど勇気と希望を与えてくれたことか。

きっとあの時代そのものが彼らを生み出したのかもしれないですね。

偶然ではなく必然だったのだろうし、正に時代の申し子なのかも知れません。

中学生当時、カウセリングによって直接的に救いの言葉を投げかけられた事も私にとっては貴重な時間でしたが、家に帰れば独りきりで過ごす事が多かった私にとっては音楽がそこに有ってくれたおかげで辛い時期を乗り切れたのは間違いありません。

そうして自然と「音楽」の世界に興味が湧いて来ました。

その中でも私は歌に特化して興味を持ち始めました。メロディーに言葉を乗せるだけでこんなにも人に感動を与えられるものなのかと彼らの音楽を知って驚嘆しました。

確か中学2年生が終わる頃だったと思います。

家に1人でいる時は彼らの曲すべてを一語一句覚えてボリュームをあげられるだけ上げて喉が枯れても歌いまくり、それだけでは飽き足らず隠れて1人でカラオケに行きそこでまた歌う。

当時はカラオケもまだそこまで普及はしておらずレーザーディスクで再生される機器が主流。映像も歌詞のみの曲が多く曲数もろくに入っていませんでした。

ただ、防音室。自分の最大ボリュームの声を出せる。

これが実は結構貴重でした。

日常で最大ボリュームの声を出す事って中々無いと思いませんか?

実に気持ちの良いものです。おすすめします。

曲数がないので同じ歌を何度も繰り返し歌います。

かなりメンタル鍛えられます(笑)

日常生活は大して真面目にこなさないくせに歌だけは一生懸命に歌っていました。

まるで自分の言葉のように彼らの楽曲を借りて外に吐き出している事が気持ちよくて仕方がなかったんでしょう。

そして高校生になってからも当然歌う事は続けていました。密かに。

そして高校2年生の学校行事中のバスの道中で1つの転機が訪れました。

続く〜^ ^

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静か

皆さんどうもこんにちは

長谷川です。

これまでに中学生の頃についてかなりの駆け足で(これでもだいぶ端折ってます^ ^)書き綴って来ましたが、激動の中学生も終わりいよいよ私も華の高校生となりました。

……はいっ。嘘をつきました。

華の高校生活とはならないのがまた私の変わり者たる所以です^_^

以前のブログにも書いた通り中学生のときのツケを高校生活で私は払う事となります。

どうなったかというと…………

静かになりました、はい。

周りの華やかな雰囲気とはまるで別世界です。校内において俗に言う青春とやらは皆無でした^ ^

ちょっとした事にも物凄い熱量で喜怒哀楽を表現してきた中学生のときは違い、全くテンションが上がりません。

今振り返って思う事は

例えるならば、あれはガス欠です。

それまではかなり燃費の悪い生活をしてきました^ ^

どんな相手にも尖った態度で接し続けて来ましたが、それがおかしいと中学生最後にして気付いた私は高校生活の始まりと同時に考え方や物の見方に変化が訪れました。

何事も俯瞰で捉えるように。

特に意識してそうしたわけでは無かったと思いますが自然とそうなっていました。

周りの学生がキラキラして見えたのも余計に私の中では色濃く区別されたのだと思います。

今の私の特技にその人の本質を見抜く目があると思っています。

他の人からの情報であったり評判とは別のもので、あらゆるフィルターを通さず自分の感じるままにその人を見る心の目?があると私は捉えています。

もちろんその時のコンディションによって精度のばらつきは感じられますが基本的に大まかな人の区別は出来ます。

区別とは。

嘘か本当。善と悪。生と死。

みたいなものですね。

これ、誰でもわかるだろうと思われるかもしれませんが意外と難しいです。

例えば……

100人に嫌われていると言われる人があなたの前に現れました。(あくまで犯罪者にならないレベルでですよ^ ^)

その人は恐らくあなたに悪態をつくでしょう。まるでいつかの誰かのように……^ ^

これってとても面倒な状況ですね。

おそらく誰しもが「嫌われている人」といったフィルターを通してその人間を捉えて接する事でしょう。

このフィルターが非常に厄介です。

このフィルターが自身も相手も人生を大きく左右します。

面倒なので多くの人は「自分はあなたを嫌ってはいない」といった態度で接するのは想像するに容易だと思います。もしくは適当な相槌で終わり。

後で「あれはやっぱり評判通りの嫌われ者だ」と揶揄するかもしれません。

それが重なって100人ですから。

その場を当たり障りなく適当にあしらうのが最善と考えるでしょう。

皆さんはこの状況を見てどこに本質を見出しますか?

私にとっての「本当」は100人に嫌われている人です。

「善」であり「生」であるのはどう考えてもそちらです。

100人が嫌う人でさえも1000人規模で見てみればその中に嫌われ者を認める人も1人は必ず出るでしょう。

その1人にも類は友を呼ぶ法則がありますから必ず100人の同士が存在すると私は考えます。実際世の中誰かが誰かを必要とし廻っています。

自分の目の前の相関図ではなく世界規模でイメージすると100人の嫌われ者が100人の革命人である可能性の方がなんだか高そうです^ ^

バカバカしいと笑われるかもしれませんがこういった「勘」もバカには出来ませんよ?第六感なんて言いますが、ある日突然勘が働くようになんてなりませんからね。日々のイメージの積み重ねで降ってくるものです。きっと。

嫌われる道にいる人は誰かに悪態をつく態度も当然止められたりしてきたでしょうが、世の中を変えたくて常識を破るためにあえて嫌われ者を買っているかもしれません。

忘れてはいけないのが誰もが羨む「勇気」の持ち主であるのは間違いありません。

しかも100人に嫌われてもまだブレない芯の強さに魅力すら感じます。

私はそうした人が目の前に現れると瞬時に好奇心が湧きます。

だって少なくとも一歩は踏み出してますよ。

最初は嫌われてなかったんでしょうから。道の始まりにもし二択が選べるとしたらほぼ全ての人が嫌われない道を選ぶでしょう?

立ち止まっていたら後退しているのと一緒です。時間はとまりません。

やりたい事があるなら周りの人に何を言われてもやり通す事。それこそが生きる上での人の持つ本質だと私は考えます。

私にとっての善は誰かにとっての悪であるように、幾重にも人間模様は重なって見えるかもしれません。それでその人の全てを決めてしまうにはあまりにも勿体ないです。

ぜひ心の色眼鏡を外してフィルター無しで見てみてください。

全てはゴールからの逆算においてたまたま善であり悪だっただけでしょう。

やり遂げてしまえば必ず人々に感動を与え賞賛されるのが世の常です。

100人からの嫌われ者はいつか100万人の救世主になるかも?しれません^ ^

と……まぁ妄想の中であまりにも極論をまくしたてましたが、

こうした感覚みたいな物は高校時代の「静か」の中で研ぎ澄まされ社会で役立つ事となりました。

その当時の根暗君には知る由もありませんが^ ^

そして

「出会い」の価値にも気づいて来た年頃。

続く〜^ ^

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